湯野神社は、いつ頃創立されたか明らかではないが、天平5年(733)に完成した『出雲国風土記』(※注1)や、菅原道眞公等が編集に関わり、延喜元年(901)に完成した『日本三代実録』(※注2)にその名が見え、少なくとも1300年或いはそれ以上の非常に古い歴史のある神社であることがわかる。亀嵩温泉の医薬の神として大己貴命(オオナムチノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)外三柱の神を主祭神として祀っている。境内末社の玉作神社は『出雲国風土記』に載る神社で、大昔、玉峰山から産出した水晶で玉を造っていた玉造部の祈願社であったが、長い変遷を経て明治42年(1909)に湯野神社に移転した。湯野神社の古文書棟札鳥居に残っている神社名は温沼神(ユヌノカミ)・大森大明神・大森社・亀嵩大社・亀嵩神社・中湯野村社となっており、時代によって改められ、24斛(コク)4斗2升の社領を戴いていた。

 徳川時代までの神主は、正神主・権神主・下職で、その他、神社の寺の常連寺があった。その常連寺焼失後、谷奥の青龍寺の住職と共に祭祀にあたった。

 『日本三代実録』に、平安時代、清和天皇の貞観10年(868)に従五位下、同13年(871)に従五位上の高い位を授けられたとあり、その頃の隆盛を窺い知ることができる。徳川時代の遷宮の棟札に、湯野神社を大氏と称して1名の総本願を出し、亀嵩の春田神社・星神社・久比須神社・鹿島神社からそれぞれ1名の村本願を出し、共に遷宮の神事の費用を分担して奉納したとある。そして、当神社を亀嵩大社と称していたことから、亀嵩の総氏神であったと思われる。明治4年(1871)に郷社制度が制定されるや、直ちに郷社に列せられ、明治41年(1908)に亀嵩地内の4社を合祀し、昭和60年(1985)には、島根県神社庁特別神社の指定を受けた。

 当神社には、世襲の巫職があって、享保2年(1717)に完成した地誌『雲陽誌』(※注3)によると、八乙女神楽や御幸神事を奉納していたとある。この神事は、徳川時代の末に中断していたが、昭和60年(1985)に復活した。また、文久3年(1863)に12代の横綱となった陣幕久五郎が雲伯出世相撲場を開設して以来、例祭の日、出雲や伯耆の国の力士を集めて、雲伯出世相撲を盛大に開催した。
 
※以上、平成2年11月12日、天皇陛下御大典奉祝記念に制作された「湯野神社由緒沿革」(上記画像)を基に加筆修正。
 

※注1 出雲国風土記

※注2 日本三代実録

※注3 雲陽誌(37ページに該当箇所あり)