昭和35年(1960)5月から翌36年(1961)4月まで読売新聞夕刊に連載された小説『砂の器』は社会派ミステリーの金字塔と謳われ大ベストセラーとなりました。東北弁、カメダという数少ない手がかりから事件解明に向かう分岐点として「亀嵩」が登場します。これが実在する地名であることに加え、作中には以下の実在する人物や小道具などが登場します。

  • 子琴
    五竹庵子琴。俳諧師。美濃派再和派10世。文政7年(1824)、天保3年(1832)に亀嵩を訪れている。特に初回、文政7年の滞在は100日を超えるもので、亀嵩での俳句熱は益々盛んとなった。
  • 振り出し探題
    当時亀嵩で盛んに開かれた俳句会で題を出すのに用いられた小道具。村上吉五郎製作。
  • 村上吉五郎
    宮大工。京都東本願寺本堂修理に参加し「出雲の名工」と賞賛を受ける。後に算盤作りを始める。
    明治10年(1877)、東京上野で開かれた第一回帝国勧業博覧会に出品された吉五郎算盤は銅牌を得て「官鑑第一等新工奇製算盤」の烙印を押すことが許可された。
  • 亀嵩算盤
    大正11年設立の算盤メーカー。村上吉五郎の算盤製作技術を継承し「使う人の気持ちで作れ」をモットーとする。

亀嵩のシーンにおいて散りばめられた数々のリアルは、単にズーズー弁だけではない亀嵩という土地が持つ歴史、文化、人々の営みを浮き上がらせ、読む者に強い印象を残したように思います。

読売新聞夕刊連載時の小説『砂の器』

昭和49年(1974)の松竹映画以降、テレビドラマで何度も映像化され、亀嵩でもロケが度々行われてきました。小説や映像作品を通じて私達の郷土亀嵩を全国に広く紹介して頂いたことは地元にとって大きな財産です。

1974/8/23 今西刑事が桐原小十郎宅を訪ねるシーンの撮影風景。
後ろに映るのはロケを見守るギャラリー。

昭和58年(1983)、地域振興、文化興隆に多大な寄与を頂いた松本清張氏に対する深甚なる感謝と郷土の誇りの証として湯野神社大鳥居横に砂の器記念碑を建立し、同年10月23日に除幕式が行われました。記念碑建立については亀嵩観光文化協会、記念碑建設実行委員会が中心となり、経費は地域住民からの寄付と地域外からの募金で賄われました。除幕式当日には松本清張氏、野村芳太郎監督、シナリオライター橋本忍氏、松竹常務梅津寛益氏、出演俳優丹波哲郎氏、緒方拳氏、特別ゲスト山本陽子氏を迎え、式典と記念講演会を行いました。

右より岩田一郎(仁多町長)、梅津寛益(松竹常務)、丹波哲郎、山本陽子、松本清張、
野村芳太郎(監督)、緒形拳、橋下忍(シナリオライター)、若槻慎治(亀嵩算盤)以上、敬称略
除幕式に集まった全員で記念撮影
写真上で確認できた人数は345名

当社の境内でもロケが行われ、特に松竹版砂の器では緒方拳扮する三木謙一巡査が神社の石段を駆け上がり、本堂下に隠れる本浦親子を見つけるシーンは印象深いものでした。

湯野神社でのシーンに出演した緒形拳とエキストラの子供たち