文久3年(1863)、松平侯の抱え力士12代横綱陣幕久五郎(当時関脇、現松江市東出雲町意東出身)が芸州路巡業の途中旅費を使い果たし、亀嵩に一泊し地元の資産家山根藤一郎に助けられた。その御礼として湯野神社に奉納相撲を開き、以後当社の相撲を「雲伯出世相撲」として免許を与えたのが起源である。
明治期、富国強兵・若者の心身の鍛練の気運が盛り上がり、村長が会長となって亀嵩出世相撲協会が発足、力量に応じて七分から一人三分の七段階に番付をした。
出世相撲は年々盛んとなり、秋の例祭の日には東は伯耆米子、西は出雲市まで近郷近在から頭取、力士二百人が出場、観客も千人を超える盛況であった。地元氏子は宿舎と酒肴・花代を提供、当地方最大の催しとなり祭りを大いに盛り上げた。
この由来に基づき、平成5年(1993)には九重親方(陣幕部屋・元横綱千代の富士)が湯野神社に参拝した。